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思いのままの色

© 2017 思いのままの色 夢佳 「音と香りは夕暮れの大気に漂う」

こんな大人になりたかったのか?

すっかりサボり気味のブログを、気にするくらいなら書いてしまおうと久しぶりにログインした。

ポツポツと見に来て下さっている方がいるらしいことに、驚きとともに嬉しさが込み上げる。
こんな訳のわからない、どこの馬の骨ともわからないブログを読んで下さってありがとうございます。

読んだところで大半の記事がきっと何の足しにもなりますまい、けれど、こんな人が一人くらい居てもいいでしょうよと思って今日も生きております。



先日のことだったが、やけに印象に残ったことなのでネタにしてみよう。

かくかく然々でお年を召した女性に着席を促したことがあった。どうぞこちらにお掛けくださいと。
こんなのは善行でもなんでもない、私は病人ではないので当然のことだ。


それで、まあ喜んでもらえたみたいなのでよかったが、よかったのはそこまでだった。


何やら最近の若い者はろくに席も譲らない、どうかするとスマートフォンに夢中になったままだったり、寝たふりまでする始末で全くけしからんという話を聞かされた(あえてこう書く)。
年寄り(あえてこう書く)の本音を見たと思った。


ついでに、あの、一応ワタクシメも若い者カテゴリに入るのですが、という困惑を感じる自由はあると思う。

あのおばあちゃんは座席運が無いのであろう。
だがしかし、譲ったところで断ったり、どうかするとそんな年寄りじゃないと怒り出す人もいるらしい。


私は座席譲り運があるため、そのようながっかりを覚えたことはないが、えっと、何が言いたいかというと、
「お互い様でしょうよ」
ということでした。


こちとら若い者カテゴリ側にも言い分はあるんだよ、体調が悪くてとても立ってはいられない時だってある、そんなことも分からないのか?
と、何かを思い出したのか突如として憤慨しだしたお婆さんを前に、やや気が遠くなった。


袖ふれあうも多生の縁と言いますので、やんわりと話題を変えてその場をやり過ごしたが、あのおばあちゃんに喧嘩を売っても仕方ないし、とにかく、世の中に出て赤の他人と何とか上手くやるには、互いに思いやることが必要でしょうよ。
文句だけつけてその後良くなったことって、何かあったのかしら?


あのおばあちゃんは座席運を良くして、私は引き続き座席譲り運を良いままに保っていきたい。


三十路が説教をかますのもどうかと思うが、成人してからしばらく経つからいいでしょう、それもこれも、粋な大人がおらんのがいかんのやわ、と、方言丸出しで思ったのだった。



一体何を見ているのか考えたくもないし知りたくもないが、外でスマートフォンに夢中になっている若者の姿は果して粋だろうか。
せっかくの厚意を無下にして、勇気を出して席を譲った若者に年寄りじゃないと怒り出す年配の姿は果たして粋だろうか。



あなたも私も、そんな大人になりたかったのか?



違うよね、違うと信じたい。



そんな姿はスマートじゃない。
スマートフォンを構っているその姿がスマートじゃないって、何の冗談だか。



気を付けよう、気を付けよう。
私はそんな大人になりたかったんじゃない。


夢佳

ねこの呼吸

飼い猫がかわいい。
正確には、飼い猫もかわいい。


うちのかわいいねこちゃんは、人の膝の上に居座るのが得意だ。
こちらに向けている背中までかわいいのだから、全く困ったものだ。

よほど急ぎの用事ではない限り、例えばこれから出掛けるとかその他、ねこの寛ぎを優先させてしまう。


たまに頭やら喉やらを撫でると、いかにも気持ちよさそうで、目もキラキラしていて、その目を見つめている時に指先や近付けた顔に感じるねこの鼻息が、なんともなんとも愛らしい。


人よりもはるかに小さなねこの確かな命を感じる。


ずっとこの鼻息の加減を覚えていたい。それはつまり、ずっと、長生きしてほしい。


子どもの頃に飼っていたねこは、今のように完全室内飼いではなく、外と中を自由に行き来させていたこともあり、老体になってそれからを知らない。
出掛けたと思ってそのまま、ついぞ家には帰ってこなかった。
きっと今はもう天国にいるのだと思う。



それで、ねこが年老いてからその後を知らない。
これからいずれ知ることになるが、今はまだ想像もつかないほど、元気いっぱいでいてくれる。
嬉しい。



今日も私の膝の上ですやすやと寝息を立てるあのねこ。
切なくて、つい背中を撫でた。



夢佳

歯医者さんに通っている話

定期的に歯医者さんに通っている。

歯の治療はとりあえず済んだので、もっぱら検診のために通っている。



子どもの頃は決まった所に親に連れて行ってもらえていたので特に悩むこともなくてよかったが、大人になって、それも何度も引っ越したりしていると、歯医者さんを決めるのになかなか勇気が要るようになった。


今お世話になっているところは、大人になってから一番長く通っている。新しさとホームページに書いてあったあれこれを決め手にして勇気を出してお邪魔してよかった。
何度も顔を出すためか、ちょっとした世間話ができるくらい覚えてもらえて、何だか嬉しい。


自分では足りない部分をきちんとケアしてもらえて、気遣って下さるのが有難い。


いつだったか、歯科衛生士さんが、それは丁寧に歯を磨いて下さって泣きそうになったことがあった。
「こんな風に磨いて下さいね」
とのことだったが、勉強になる、以上に、何だか愛情まで感じてしまって、胸を打たれたのだと思う。

そして、果たして自分はここまで自分のことを大事にしてきただろうか、と我が身を振り返るのと同時に、仕事とはいえここまで力を尽くして下さることにすっかり恐縮してしまった。


素敵な歯医者さんとご縁があって本当によかった。
先生ももちろんやさしいです。


前に親知らずを抜いてもらって、一通りの治療が済んでからは、検診のためにお世話になっている。
いつも丁寧に綺麗にしてもらえて、歯医者さんへの往路も復路も足取りが軽い。
いつの間にか楽しみになっている。


何度伺っても思うが、自分ではどうにもできない所を何とかしてもらえるのが、プロフェッショナルに味方して頂けているようで、こんなに心強くて有難いことはないのではないだろうか。



また今度診て頂くまで、きちんと歯を磨いて、きちんとフロスを通そうと、もはや自分のためと言うよりは歯医者さんで褒められんがためにせっせと手入れをしている。


でも、動機はなんでもいいか。
自分を大切にする習慣を作るきっかけを教えて下さって、本当に有難いです。


皆さまもどうか歯を大事になさって下さい。



夢佳

5月はシャツの季節、ハンカチは毎日

久しぶりにシャツのアイロン掛けをした。


冬場はほとんどニットばかりを着ていたため、アイロンの出番はほぼハンカチのみになっていたが、そろそろシャツの気分!
ということで、最近はニットの着用回数を減らし、少しずつシャツにお出まししてもらっている。


ニットの時のお手入れといえば、下着のおかげで直接肌に触れないこともあり、洗濯の回数は極力減らして、普段は着用後に水を入れた霧吹きでシワのつきやすい肘や裾の辺りを重点的に湿らせて乾かしていた。

ところが、シャツさんはですね。
皆さんご存知の通り、同じように霧吹きで湿らせたところで、シワのついたところはやはりシワになったままなのでした。


一応試してはみたが、シャツさんはそんなに甘くない。
諦めて洗濯をし、アイロンを掛けることにした。


ハンカチもそうだが、シャツへのアイロン掛けも、洗濯が済んで生地が湿った状態のまま始めている。
一度乾かしてから霧吹きまたはアイロンのスチーム機能を使ってもいいのだが、そこは生来の面倒くさがりが発動して、わざわざ湿らせる手間を省くようになった。


何となくだが、シャツもハンカチも、ピシッとした状態で干されているのを見ると、何だかすごく大事にされているように見えてホッとするのだった。
後が楽だしね。乾いて仕舞うだけの手間で済むもの。


ところで、以前、ジェットタオルの普及により(?)ハンカチを持たない人が増えているというネットのニュース記事を見たが、ハンカチが好きな昭和生まれとしては、時代というのはいつの間にか変わっていくものなんだなと少し寂しくなってしまった。


私のハンカチ歴は、まあ歴史という程のものではないけれど、大人になってから記憶にあるだけでそれなりの数になると思う。


昔仕事でお世話になった憧れの先輩が、ハンカチは一つ○○(任意)のものとブランドを決めておくといいよと教えて下さって、しばらくはそれを通していた。

確かに雰囲気も統一されやすく、集める楽しみもあり、何より毎日目にも手にも触れるものなので、そこに多少の思い入れを持って選んでいるというのが、何だか大人になったような、少しその先輩に近付けたような気がして、嬉しくもあった。


それが、年月を経て好みも変わり、今ではすっかり麻のハンカチを主として使うようになった。
それも無地でレースも刺繍も入れない、ずいぶんと素っ気ない物。

けれど、初めて麻のハンカチを使った時の、あのひんやりとして張りのある肌触りにすっかり魅了されてしまい、人から頂いたもの以外は、つまり自分で買うものは、華やかなものは手に取らずに必ず麻のものを選ぶようになった。


朝起きて香水を決めて、その香水瓶の蓋を拭うのに、その日使うハンカチを用いる。
すると、鞄から取り出す度に仄かに美しい香りが広がり、それだけで心が落ち着くような気がする。


こんなのは完全に趣味だし、こういうことをこそ趣味と言うのではなかろうかと思う。



久々のシャツへのアイロン掛けは、以前よりも少し時間が取られたが、身綺麗にする元気があるのはいいことだ、これも自分への励みになる。

身だしなみを整えるのは世間に出ていく時の責任でもあるし、5月の爽やかさにもぴたりと当てはまるのではないでしょうか。



そろそろ藤の花が見頃でいいですね。



夢佳

電車で知らない人に思わず話し掛けてしまった話

久々にやってしまった。
先日の話である。

帰路の電車に、それもちょうど満員電車に乗り込んだ時のこと。


スマートフォンを鞄から取り出すこともできず、乗り合わせた人の会話を聞くとはなしに聞いていたら、「○○…!」と、私が行きたかった旅先の話が飛び出した。


何となくボカしたけれど、海外の地名である。


それで、駅をいくつか過ぎ、少しずつ人が減って車内にゆとりができたタイミングで、スミマセン、と思い切って話し掛けてみた。


案の定驚かれたが、何せ私もそんなことは滅多にやらない、驚かれながらも話の輪に入れて下さって、下車する駅までの時間があっという間に過ぎるくらい楽しかった。


昨年にその国にまつわる展覧会に出向いてからすっかり行く気になっていたこともあり、よくご存知のようだし、どうしても聞き逃すわけにはいかないと、勇気を出してみた。


たまたま入った喫茶店でその国が特集されている雑誌を見付けて読んだりとか、とにかく何かしらどこかしらで縁を感じてしまっていて、今回のこれも神さまからのお告げかお導きかと、強引に思い込んだのだった。



あれこれ聞かせて下さるだけではなく、おまけに件の渡航先の様子が分かる映像もわざわざ見せて下さって、それもとても嬉しかった。


世の中捨てたもんじゃないね。
生き生きとされている顔付きまで、すっかり目に焼き付いてしまった。


お付き合い下さった素敵なご両人が当ブログをご覧になることは無いかと思いますが、その節はありがとうございました。


互いに名乗らずの一期一会というのがまた格好いいなと、幾重にも嬉しさの募る一時でした。


いつか行って来ます!
改めて、ご親切に、ありがとうございました。
お二方もどうかご無事で、これからもよい旅をなさいますように。



夢佳

答えは自分の中にある、か

空前絶後のおおおお!
紫色ブームが来ている(当人比)。



住んでいる部屋に花を欠かさないようにしているのだが、この間までは濃いピンク色の花にばかり手が伸びていた。
ところが、急に、紫色の花に惹かれるようになった。

元々好きではあったのだが、何だか無性に目が行く。


いくつか花を買って、お家に帰って生けて、何度見ても嬉しくなる。美しい。

このタイミングで、近々また友人が遊びに来てくれることに。
まだ買ったばかりの元気な花があると、何だかそれだけでお客さんをお迎えする準備ができているように思えて心強い。
喜んでもらえるだろうか。


最近、また違う友人と久しぶりの再会を果たしたが、それぞれによさがあって、いつの間にかかけがえのない人が増えていたのだなとしみじみ思った。


人と人との中にあって、距離の取り方に悩んでしまう時は、自分の心に聞いてみるのが一番かも知れない。
よく聞くことだけれど、実は難しいこと。

何が難しいって、自分が快く感じることと、「こうでなければいけない」という「一般的」とされる概念に違いがある時に、自分が何を優先させるのかを、確信を持って決められることばかりではないこと。


どこまでやさしくするか、とか、どうするのが本当の意味で相手を思いやることになるのか、とか、自分に無理をさせることに鈍感になっていないか、とか、相手に負担を強いていないか、とか。


気持ちに余裕がない時ほど、気になることが増えるし、自分がどうしたいのかが見えないと、苛立ちを隠せない。


そこでですね。
落ち着きましょう、いい大人ですもの。
とりあえずお茶でも飲みませんか、と、自分を静かにさせる方向へと持っていく。


私が何ゆえ断捨離に心酔したのかといえば、何もかもが煩く感じられたからなのだった。


だからテーブルの上には何も置かない。
寝る前に片付けられることは片付けてしまう。
そして、これは嬉しさのために、花を常に飾る。


たとえ部屋がベストでも、誰かしら相手がいれば、何かを考えざるを得ないシーンが出てくる。


その時に正答に近付くために、出来るだけ何もかもを片付けておく。
すると。なんだ、こうすればよかったんじゃないの、って答えに、近付きやすくなったんじゃないかな、と私は思っている。


すぐには答えが出せずとも、こんなに美しい花があると、何かもうそれだけで十分なんじゃないか、こんなに花が美しいのですもの、あとは何とかなるよそのうち、と、ずいぶん呑気なことを思ってしまうのだった。



夢佳

前倒し生活

人間、変われば変わるものである。


昨夏は顔を主とした謎の肌荒れに悩まされ、痒さで眠れない日々が続き、すっかり生活のリズムがめちゃくちゃになっていた。

痒い→眠れない→朝に気絶→痒みで起きる→何とか生活

の、繰り返しの毎日。
仕事にもならないし、正直なところ生きているだけで精一杯で、当然のように辛さが積み重なっていった。


一応商売道具の顔が使えないというのは、相当な絶望だった。
原因は食物アレルギーだが、こんな歳になって発症するものなのか、当初は全く心当たりがなく困り果てたものだった。


近頃はずいぶん調子もよくなり、おかげさまで以前の状態に近い。

ところが、当時の夜型のでたらめな生活習慣を直すのが、なかなか、時間が掛かった。
無理矢理に徹夜をしたりして、何とか朝起きて夜に眠る生活に戻している。


すっかり夜型生活が染み付いていた時には、辛さや寂しさを紛らすためにかスマートフォンでのネットサーフィンが止められなかった。


それでも、薄暗い部屋で眩しく小さな画面を見続けるのは目にも心にも悪く、それをスパッと我慢して、眠れなくても目だけは閉じて過ごすことにした。


それで、余計としか思えないことを、色々考えた。
そういう時間を持ちたくなかったから、ずっとスマートフォンを握り締めていたのかも知れない。


そうして目を閉じて、気が付くと朝が来ていた。


すごく、嬉しかった。


それからは、睡眠時間としては足りていなくても、毎朝決まった時間に起きることにしている。
目覚ましのアラームが頼りだが、昔はあんなにイライラしていたのに、今は起こしてくれるだけ有難い。



そうして朝きちんと起きると、それだけで一日が長く、やりたいことがどんどん片付く。
掃除も洗濯も、あっという間に終わって、それでもまだ朝の時間がある。
花瓶の花も生け直せるし、勉強だってできる。そして何よりも清々しい。



だらだらと夜更かしするのが至上の楽しみで、むしろ私といえば宵っ張りだったはずが、朝に起きて窓を開け放ち、部屋の空気をすっかり入れ換えるのが、堪らなく心地好い真人間気取りになってしまった。


人生を立て直そうと思ったら、きちんと生活するしかないと思ったのだ。


そういう生活を続けていられることが、何よりも自分の励みになっている。
やれば、できるじゃないか、と。



そして、何でも早めに済ませることをよしとするようになった。
あれ、明日でいいかな、ちょっと面倒だし、ということも、すぐにやってしまうととても楽だ。

これまでは先延ばしにして、要らぬ苦労を増やしていたように思う。


朝に花を生け直せると、一日花がしゃんとしたままで、見る度に嬉しくなる。


断捨離人間になってからは部屋は片付いているのが当然になっていたが、それに加えて朝型生活に慣れると、気持ちの余裕が増えたように感じる。
これも大変有難い。

生きていればどうにもならないことにも出くわすが、自分でどうにかできるところ、環境や生活を整えられると、それだけで気持ちの支えになる。
これだけやったから大丈夫って思える。


こうしてまだまだ変わっていけると思うと、何だかそれも嬉しい。
自分を諦めないでいられるのは、実に希望に満ちたことだ。



夢佳