思いのままの色

© 2017 思いのままの色 夢佳 「音と香りは夕暮れの大気に漂う」

ユトリロの展覧会

先日、ユトリロの絵を観てきた。

このところ、何だか調子が今一つだったのを、チケットを頂いていた為に、何とか会期のうちに足を運べて義理と希望を果たせたとホッとしている。



正直なところ、ユトリロの白の時代とかいう、どちらかといえば陰鬱な調子のパリの街並みの絵が続くところは全くと言っていいほど目に留まらず、「たしか好きだったはずが、それは気のせいだったのかしらん」と早々に気もそぞろになっていた。

御礼をお伝えする時にお主は何と申すのだ!と、いよいよ目前の絵の群への集中もどこかへとすっ飛んだ頃に、あった、あった。ありましたよ、好きな絵!

「古いマキ、モンマルトル」

とかいうタイトルのもの。


マキというのが、20世紀初頭にあった旧規格の家並みだそうで(たしか)、その家々の窮屈に建ち並ぶ様と色彩とが、異様に私の心を掴んだのでした。


話半分に聞いて(読んで)頂ければ結構というか大変恐縮なのですが、その絵を見た時に、
「あ、懐かしい」と思ってしまって。
不思議と、あそこに住んでいた気がする。


何のことやら自分でも分からないけれど、妙にその絵ばかりが気になる。


単純に色遣いが好きなだけかもしれない、古びながらも鮮やかなあの緑色の入った感じとか、赤みの差し方とか。



もうあの絵に合えた、それだけで、来てよかったと思った。
(ありがとうございました)
(このブログは内緒ですが)



あとは芸術家のための夜会のポスターも好きだな、紳士と淑女の後ろ姿がたくさんの。静かに高揚してる感じの。
ところで、昔の人の服装にある程度の規則性が保たれていたからか、昔の人の集団って絵になる。と思っている。もちろん階級差はあっただろうけれど。


それから、(たしか)青い花瓶に生けられた花の絵も。
一目見て好きになった。お家に飾りたくなる絵。


ユトリロは花も描いたのね!知らなんだ!と、そばの但し書きをよく見ると、どうやら意中の女性に向けて花の絵を描いて贈っていたらしい。
なんて素敵なんだろう。


すっかり余談だけれど、誰かにお花をもらうのってすごくすごくすごく嬉しい。
すごく!嬉しい!


ずいぶん昔、花屋さんに花を見つけに行ったところ、若い男性が店員さんに花束の注文をしているのに出くわしたことがある。
何でも彼女に、というか女性に花束を贈ることそのものが初めてだそうで、たまたま居合わせた私にも意見を求められた。

彼女がどんな花が好きかも分からないが、女性は花をもらって果たして喜んでくれるだろうか、と。

私は、女性ならきっとどんな方でも喜ばれると思いますよって、何だかドキドキしながら伝えた、気がする。
そして成り行きを見守った。

すると、その若い、といっても当時の私よりかは年長らしい感じの男性が選ぶ花の色が、品があってハイセンス(死語?)な代物だった。


その素敵な花束をこれから受け取るであろう女性が、何だか無性に羨ましくなったことははっきりと覚えている。


恋人のいなかった私には、もう眩しくて仕方なく、見ず知らずの彼女がすっかり喜んでくれることを、こっそりと願うばかりだった。
どうか、お花が好きで、あの真っ直ぐに素敵な花束と彼の心意気を、そっくりそのまま喜んでしまう女性でありますように、って。
…超がつくほど生意気に!笑


そこから、すっかり憧れなわけです。
男性から花束を贈られること。



昨年はお誕生日に友人が花束をくれて、とてもとても嬉しかった。
何だか常日頃から「花が!」「綺麗なの!」と言いまくって(?)いるのもあり、珍しく美しい花と花束を頂ける嬉しさをもらってしまったのだった。
(みんなありがとう!)
(ところでこのブログは内緒だけれどまだ)



それで、ユトリロさんも(こちらは絵だしご本人の作品だけれど)似たようなことをしていたんだなと思うと、時代は違えど愛を表すのにはやっぱり花なのね、と、ちょっと胸が温かくなったのだった。

ところが、彼は基本的には人間不信あんど女性不信だったというのだから、人生色々である。



一通り展示作品を観て、最後に上述の三点は戻って再び目に焼き付けて、会場を後にした。


無理やり行ってよかったよー!
ユトリロ展。
終わっちゃったけれど。



そして展覧会の楽しみといえば、ギャラリーのお洒落観察なのですが…お邪魔した時間帯のせいか、お着物をお召しのマダムとか、上等なコートがお似合いのダンディなおじさまとか、お出掛け感のある方がいらっしゃって、そちらも見応えありでした。


ちなみに私は、陰鬱なパリの曇り空のようなニット。
ユトリロの空は、何だか寂しい。特に前半。
そんな感じの、曇った色の服でお出掛け。
行けてよかったです。