思いのままの色

変な夢と、淑女のたしなみについて

シリーズ変な夢「被曝未遂と逃走」

覚えているうちに書ききってしまおう!という訳で、再びの夢の話。

ご気分に沿うようでしたら、どうぞお付き合い下さいませ。


***


広大な土地、土が剥き出しで、ところどころフェンスで区切られている。
これから何かの実験をすると、見知らぬ男性二人と、よく知る男性一人が立っていて、その場には私も居て、その他たくさんの知らない人々が立ち尽くしていた。


その見知らぬ男性をAさんBさんとし、Aさんは顔立ちが俳優の佐々木蔵之介さんに似ていた、Bさんは体格のいい人、ラガーマンみたいで、よく知る男性をCさんとしておこう。


見知らぬAさんが実験の主導権を握っているらしく、マイクでその実験についての説明をしていた。
Bさんは何やら液体の入った?バケツ、白いペンキが塗られたようなものを持って立っていた。

よく知るCさんは介添えというか勉強中といった風情。


少しずつ歩きながら説明をしていたAさんの足元をよく見ると、銀色をした円盤のようなものが埋まっている。
それを私が見つけた途端に、バケツを手にしたBさんの動きが気になった、あれは放射性物質
あの円盤に近付くと臨界して皆が被曝してしまう!と、何故か思い(注:夢の中です)、私は必死になってCさんを呼び寄せようとした。


「Cさん!危ないから!逃げないと」


ところがCさんは聞く耳を持たない、私にとって現実では大切な人だが、夢の中とはいえ、進んで被曝する馬鹿をするまいと、私は一目散に駆け出した。


地に埋まる銀色の円盤に気づいた頃には、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていたはずの人々が忽然と姿を消していて、それが尚、不気味さを増していた。


何とか被害を最小限にしようと駆け出したものの、駆けて行った方と反対側から出てきてしまい、つまり、その「現場」に戻ってきてしまう。


一生懸命逃げているのに、一生懸命戻ってきている。


しかも、足が思うように回らない上に、件の男性三人が追いかけて来る。


恐ろしくなった私は、あるところで方角を変えて、気がつくと病院のような建物の廊下を走っていた。
私の姿は追っ手から見えているはずなのに、何しろ足が回らない、いっこうに追い付かない。
どうせ捕まえられると高を括っているのか、その余裕を匂わせている感じがまた恐ろしかった。


どこかに隠れないとと、ある部屋の戸を開けて逃げ込んだが、身を隠すところを見つける前に、部屋の壁面に天井まである作り付けの引き出しの山の、上の方の引き出しが、いくつもいくつも引き出されて、書類が少し散らばっているのに驚いていた。


昔夢で見た病院に似ているが、あそこはこんな作りの部屋は無かったはず…と思いながら、室内を見渡している時に…夢から覚めた。


***


起きた時に胸を撫で下ろす夢も、なかなか辛いものがある。
時間に余裕がある時はしばしば考え込んでしまうが、考えてもやむ無し、だって夢ですもの。



夢佳

シリーズ変な夢「謎のおじさん」

何となく記憶や印象に残った夢は、ブログ記事にしてしまおうという新しい試みです(私にとって)。


赤の他人が見た、それも「夢」の話になんて全く需要が無さそうだけど、何度も「ああだった、こうだった」とか「怖かった」とか思い出したり覚えていたりするのもなかなかエネルギーを使うので、たぶん「忘れてもいいように」書く、つもりになったのでしょう。

自分でもよく分からない。


前置きはこの辺りにして、適当に思い出したところだけ書きなぐろうかと。


ちなみに夢占いの類いは面倒くさくてやりません。
何かを象徴しているらしいということを否定するつもりは一切なく、ある意味「出来上がった」ものを分析する趣味がないだけです。


それでは、物好きな御方、どうぞご笑覧下さいませ。
小説は書けませぬが、夢の話でしたらいくらでも…



***


食べ物売りの屋台のおじさんに用事があって会いに行った。
そこでの買い物の仕方についての但し書きが貼ってあったが、起きたら忘れてしまった。

おじさんの店の前に、学校給食のような空の牛乳パックが入った黄色いプラスチックの箱が山積みになっている。
私はその中の一つの牛乳を飲んだが、味は普通だった、現実では苦手でとてもそのまま飲んだりはしないが、ストローに口をつけて、その行為に驚いていた。よほど喉が渇いていたらしい。


屋台のおじさんと少し話をしてから、気がつくとどこかの建物から出てきていた。珊瑚色のカーペットが貼られていて、何故かキテレツな格好をされた羽生善治さんがマイクを持って歩きながら演説をされていた。

大きな将棋の大会があるらしい、秘書のような若い女性が慌てて羽生さんを追いかけておられたが、それらの出来事が本来の予定ではないことだったらしく、囁くようなヤジが飛んでいた。


気がつくと、大きな大きな将棋盤の前に座っていた。
私の右隣に、ベテラン棋士が座っていて、これは現実に居る人かは分からない、けっこう歳の離れたおじさんで、私を口説いている。

すんでのところで助けが入って事なきを得たが、夢の中とはいえヒヤヒヤした。

どこかで見たことのあるおじさんだったが、果たして、誰かに面影が似ているだけなのか、それはもう夢の記憶がおぼろげで分からない。


それから、どこかへと帰らねばならず、身支度を調えていたところ…水道の側に○○○を見つけて…その○○○が何だったのかを、今はもう思い出せない。
何か大切なものだった気もするし、珍しくスーツ姿の私はそこで誰か若い人と、それも知人のはずのその誰かに会っているはすなのだけれど…


***



こういう夢の後は、ちょっと失礼、じゃなくて、ちょっと失恋したみたいな気分で目覚めるから辛い。目覚めた時から感傷的。

日常に戻ってくるまでの気持ちの差が、どうにも、すぐには取り戻せない感じ。




夢佳

こんな大人になりたかったのか?

すっかりサボり気味のブログを、気にするくらいなら書いてしまおうと久しぶりにログインした。

ポツポツと見に来て下さっている方がいるらしいことに、驚きとともに嬉しさが込み上げる。
こんな訳のわからない、どこの馬の骨ともわからないブログを読んで下さってありがとうございます。

読んだところで大半の記事がきっと何の足しにもなりますまい、けれど、こんな人が一人くらい居てもいいでしょうよと思って今日も生きております。



先日のことだったが、やけに印象に残ったことなのでネタにしてみよう。

かくかく然々でお年を召した女性に着席を促したことがあった。どうぞこちらにお掛けくださいと。
こんなのは善行でもなんでもない、私は病人ではないので当然のことだ。


それで、まあ喜んでもらえたみたいなのでよかったが、よかったのはそこまでだった。


何やら最近の若い者はろくに席も譲らない、どうかするとスマートフォンに夢中になったままだったり、寝たふりまでする始末で全くけしからんという話を聞かされた(あえてこう書く)。
年寄り(あえてこう書く)の本音を見たと思った。


ついでに、あの、一応ワタクシメも若い者カテゴリに入るのですが、という困惑を感じる自由はあると思う。

あのおばあちゃんは座席運が無いのであろう。
だがしかし、譲ったところで断ったり、どうかするとそんな年寄りじゃないと怒り出す人もいるらしい。


私は座席譲り運があるため、そのようながっかりを覚えたことはないが、えっと、何が言いたいかというと、
「お互い様でしょうよ」
ということでした。


こちとら若い者カテゴリ側にも言い分はあるんだよ、体調が悪くてとても立ってはいられない時だってある、そんなことも分からないのか?
と、何かを思い出したのか突如として憤慨しだしたお婆さんを前に、やや気が遠くなった。


袖ふれあうも多生の縁と言いますので、やんわりと話題を変えてその場をやり過ごしたが、あのおばあちゃんに喧嘩を売っても仕方ないし、とにかく、世の中に出て赤の他人と何とか上手くやるには、互いに思いやることが必要でしょうよ。
文句だけつけてその後良くなったことって、何かあったのかしら?


あのおばあちゃんは座席運を良くして、私は引き続き座席譲り運を良いままに保っていきたい。


三十路が説教をかますのもどうかと思うが、成人してからしばらく経つからいいでしょう、それもこれも、粋な大人がおらんのがいかんのやわ、と、方言丸出しで思ったのだった。



一体何を見ているのか考えたくもないし知りたくもないが、外でスマートフォンに夢中になっている若者の姿は果して粋だろうか。
せっかくの厚意を無下にして、勇気を出して席を譲った若者に年寄りじゃないと怒り出す年配の姿は果たして粋だろうか。



あなたも私も、そんな大人になりたかったのか?



違うよね、違うと信じたい。



そんな姿はスマートじゃない。
スマートフォンを構っているその姿がスマートじゃないって、何の冗談だか。



気を付けよう、気を付けよう。
私はそんな大人になりたかったんじゃない。


夢佳

5月はシャツの季節、ハンカチは毎日

久しぶりにシャツのアイロン掛けをした。


冬場はほとんどニットばかりを着ていたため、アイロンの出番はほぼハンカチのみになっていたが、そろそろシャツの気分!
ということで、最近はニットの着用回数を減らし、少しずつシャツにお出まししてもらっている。


ニットの時のお手入れといえば、下着のおかげで直接肌に触れないこともあり、洗濯の回数は極力減らして、普段は着用後に水を入れた霧吹きでシワのつきやすい肘や裾の辺りを重点的に湿らせて乾かしていた。

ところが、シャツさんはですね。
皆さんご存知の通り、同じように霧吹きで湿らせたところで、シワのついたところはやはりシワになったままなのでした。


一応試してはみたが、シャツさんはそんなに甘くない。
諦めて洗濯をし、アイロンを掛けることにした。


ハンカチもそうだが、シャツへのアイロン掛けも、洗濯が済んで生地が湿った状態のまま始めている。
一度乾かしてから霧吹きまたはアイロンのスチーム機能を使ってもいいのだが、そこは生来の面倒くさがりが発動して、わざわざ湿らせる手間を省くようになった。


何となくだが、シャツもハンカチも、ピシッとした状態で干されているのを見ると、何だかすごく大事にされているように見えてホッとするのだった。
後が楽だしね。乾いて仕舞うだけの手間で済むもの。


ところで、以前、ジェットタオルの普及により(?)ハンカチを持たない人が増えているというネットのニュース記事を見たが、ハンカチが好きな昭和生まれとしては、時代というのはいつの間にか変わっていくものなんだなと少し寂しくなってしまった。


私のハンカチ歴は、まあ歴史という程のものではないけれど、大人になってから記憶にあるだけでそれなりの数になると思う。


昔仕事でお世話になった憧れの先輩が、ハンカチは一つ○○(任意)のものとブランドを決めておくといいよと教えて下さって、しばらくはそれを通していた。

確かに雰囲気も統一されやすく、集める楽しみもあり、何より毎日目にも手にも触れるものなので、そこに多少の思い入れを持って選んでいるというのが、何だか大人になったような、少しその先輩に近付けたような気がして、嬉しくもあった。


それが、年月を経て好みも変わり、今ではすっかり麻のハンカチを主として使うようになった。
それも無地でレースも刺繍も入れない、ずいぶんと素っ気ない物。

けれど、初めて麻のハンカチを使った時の、あのひんやりとして張りのある肌触りにすっかり魅了されてしまい、人から頂いたもの以外は、つまり自分で買うものは、華やかなものは手に取らずに必ず麻のものを選ぶようになった。


朝起きて香水を決めて、その香水瓶の蓋を拭うのに、その日使うハンカチを用いる。
すると、鞄から取り出す度に仄かに美しい香りが広がり、それだけで心が落ち着くような気がする。


こんなのは完全に趣味だし、こういうことをこそ趣味と言うのではなかろうかと思う。



久々のシャツへのアイロン掛けは、以前よりも少し時間が取られたが、身綺麗にする元気があるのはいいことだ、これも自分への励みになる。

身だしなみを整えるのは世間に出ていく時の責任でもあるし、5月の爽やかさにもぴたりと当てはまるのではないでしょうか。



そろそろ藤の花が見頃でいいですね。



夢佳

答えは自分の中にある、か

空前絶後のおおおお!
紫色ブームが来ている(当人比)。



住んでいる部屋に花を欠かさないようにしているのだが、この間までは濃いピンク色の花にばかり手が伸びていた。
ところが、急に、紫色の花に惹かれるようになった。

元々好きではあったのだが、何だか無性に目が行く。


いくつか花を買って、お家に帰って生けて、何度見ても嬉しくなる。美しい。

このタイミングで、近々また友人が遊びに来てくれることに。
まだ買ったばかりの元気な花があると、何だかそれだけでお客さんをお迎えする準備ができているように思えて心強い。
喜んでもらえるだろうか。


最近、また違う友人と久しぶりの再会を果たしたが、それぞれによさがあって、いつの間にかかけがえのない人が増えていたのだなとしみじみ思った。


人と人との中にあって、距離の取り方に悩んでしまう時は、自分の心に聞いてみるのが一番かも知れない。
よく聞くことだけれど、実は難しいこと。

何が難しいって、自分が快く感じることと、「こうでなければいけない」という「一般的」とされる概念に違いがある時に、自分が何を優先させるのかを、確信を持って決められることばかりではないこと。


どこまでやさしくするか、とか、どうするのが本当の意味で相手を思いやることになるのか、とか、自分に無理をさせることに鈍感になっていないか、とか、相手に負担を強いていないか、とか。


気持ちに余裕がない時ほど、気になることが増えるし、自分がどうしたいのかが見えないと、苛立ちを隠せない。


そこでですね。
落ち着きましょう、いい大人ですもの。
とりあえずお茶でも飲みませんか、と、自分を静かにさせる方向へと持っていく。


私が何ゆえ断捨離に心酔したのかといえば、何もかもが煩く感じられたからなのだった。


だからテーブルの上には何も置かない。
寝る前に片付けられることは片付けてしまう。
そして、これは嬉しさのために、花を常に飾る。


たとえ部屋がベストでも、誰かしら相手がいれば、何かを考えざるを得ないシーンが出てくる。


その時に正答に近付くために、出来るだけ何もかもを片付けておく。
すると。なんだ、こうすればよかったんじゃないの、って答えに、近付きやすくなったんじゃないかな、と私は思っている。


すぐには答えが出せずとも、こんなに美しい花があると、何かもうそれだけで十分なんじゃないか、こんなに花が美しいのですもの、あとは何とかなるよそのうち、と、ずいぶん呑気なことを思ってしまうのだった。



夢佳

前倒し生活

人間、変われば変わるものである。


昨夏は顔を主とした謎の肌荒れに悩まされ、痒さで眠れない日々が続き、すっかり生活のリズムがめちゃくちゃになっていた。

痒い→眠れない→朝に気絶→痒みで起きる→何とか生活

の、繰り返しの毎日。
仕事にもならないし、正直なところ生きているだけで精一杯で、当然のように辛さが積み重なっていった。


一応商売道具の顔が使えないというのは、相当な絶望だった。
原因は食物アレルギーだが、こんな歳になって発症するものなのか、当初は全く心当たりがなく困り果てたものだった。


近頃はずいぶん調子もよくなり、おかげさまで以前の状態に近い。

ところが、当時の夜型のでたらめな生活習慣を直すのが、なかなか、時間が掛かった。
無理矢理に徹夜をしたりして、何とか朝起きて夜に眠る生活に戻している。


すっかり夜型生活が染み付いていた時には、辛さや寂しさを紛らすためにかスマートフォンでのネットサーフィンが止められなかった。


それでも、薄暗い部屋で眩しく小さな画面を見続けるのは目にも心にも悪く、それをスパッと我慢して、眠れなくても目だけは閉じて過ごすことにした。


それで、余計としか思えないことを、色々考えた。
そういう時間を持ちたくなかったから、ずっとスマートフォンを握り締めていたのかも知れない。


そうして目を閉じて、気が付くと朝が来ていた。


すごく、嬉しかった。


それからは、睡眠時間としては足りていなくても、毎朝決まった時間に起きることにしている。
目覚ましのアラームが頼りだが、昔はあんなにイライラしていたのに、今は起こしてくれるだけ有難い。



そうして朝きちんと起きると、それだけで一日が長く、やりたいことがどんどん片付く。
掃除も洗濯も、あっという間に終わって、それでもまだ朝の時間がある。
花瓶の花も生け直せるし、勉強だってできる。そして何よりも清々しい。



だらだらと夜更かしするのが至上の楽しみで、むしろ私といえば宵っ張りだったはずが、朝に起きて窓を開け放ち、部屋の空気をすっかり入れ換えるのが、堪らなく心地好い真人間気取りになってしまった。


人生を立て直そうと思ったら、きちんと生活するしかないと思ったのだ。


そういう生活を続けていられることが、何よりも自分の励みになっている。
やれば、できるじゃないか、と。



そして、何でも早めに済ませることをよしとするようになった。
あれ、明日でいいかな、ちょっと面倒だし、ということも、すぐにやってしまうととても楽だ。

これまでは先延ばしにして、要らぬ苦労を増やしていたように思う。


朝に花を生け直せると、一日花がしゃんとしたままで、見る度に嬉しくなる。


断捨離人間になってからは部屋は片付いているのが当然になっていたが、それに加えて朝型生活に慣れると、気持ちの余裕が増えたように感じる。
これも大変有難い。

生きていればどうにもならないことにも出くわすが、自分でどうにかできるところ、環境や生活を整えられると、それだけで気持ちの支えになる。
これだけやったから大丈夫って思える。


こうしてまだまだ変わっていけると思うと、何だかそれも嬉しい。
自分を諦めないでいられるのは、実に希望に満ちたことだ。



夢佳

フルート再開

この間、たまたま時間ができて、久しぶりに楽器に触ることができた。

私のフルート、記憶が正しければ、ほとんど一年振りに吹いた。


昨年はおよそ五年のブランクを経てフルートを吹いたが、案の定、音なんて出ない。
持ち方も運指も覚えているのに、口の感覚が全く訳が分からなくなっていて、せっかく自分の楽器があるのだもの、無理矢理にでも続けていればよかったとひどく後悔した。


違う夢を追っていてフルートの練習どころではなく、フルートを置物にしておくのも可哀想で、ちょうど楽器を借りたいという人に縁があり貸していたのだったが、何とか時間を捻出して、どのような形であれやり続けていればよかった。


以前も大して腕が立った訳ではないが、確実に下手になったよ!


でも仕方ない、これからまた地道に練習するのだ。


それで、消失していた口の感覚を、随分と昔に習った時のことを何とか再現しようとして奮闘していたのだが(昨年)、てんで上手くいかなかった。その絶望と後悔に負けてしばらくまた楽器を触らずにいたが、楽器はあるし、たまたま時間もできた。


時間ができて、目の前に楽器がある。
そのおかげで、ちょっとだけ、吹いてみようと思えた。


楽器をケースから出す時って、もう何度目なのか、未だにどうしてもドキドキする。
無事かな、元気かな、と確認するような心地。


ピカピカのままだった、フルート。
ごめん、お待たせ。


今回はまた以前のようにやろうとするのは止めた。
ブランクの埋め方を調べて、くちびるの形は人それぞれ、私が音を出しやすいやり方を見つければいいと、一つの答にたどり着く。

あの人やあの人のような口許になりたいと、一生懸命力を込めていたくちびるを脱力させて、やさしく歌口(息を吹き込むところ)に吹き込んだ。


すると、余分な息の漏れがかなり減って、昨年よりもマシに感じられる。
吹いた時のあの音に手応えのある感覚も少しある。
これはこのやり方を続けて掴んでみるといいかも知れない。


というわけで、すっかり気を良くして、使える時間いっぱいまでフルートの練習をした。そのほとんどをロングトーンに費やす。


またどこかで吹ける日が来る時まで、気長に、フルートを続けることにする。