思いのままの色

copyright © 2017 思いのままの色 花蝶夢佳

シリーズ変な夢「被曝未遂と逃走」

覚えているうちに書ききってしまおう!という訳で、再びの夢の話。

ご気分に沿うようでしたら、どうぞお付き合い下さいませ。


***


広大な土地、土が剥き出しで、ところどころフェンスで区切られている。
これから何かの実験をすると、見知らぬ男性二人と、よく知る男性一人が立っていて、その場には私も居て、その他たくさんの知らない人々が立ち尽くしていた。


その見知らぬ男性をAさんBさんとし、Aさんは顔立ちが俳優の佐々木蔵之介さんに似ていた、Bさんは体格のいい人、ラガーマンみたいで、よく知る男性をCさんとしておこう。


見知らぬAさんが実験の主導権を握っているらしく、マイクでその実験についての説明をしていた。
Bさんは何やら液体の入った?バケツ、白いペンキが塗られたようなものを持って立っていた。

よく知るCさんは介添えというか勉強中といった風情。


少しずつ歩きながら説明をしていたAさんの足元をよく見ると、銀色をした円盤のようなものが埋まっている。
それを私が見つけた途端に、バケツを手にしたBさんの動きが気になった、あれは放射性物質
あの円盤に近付くと臨界して皆が被曝してしまう!と、何故か思い(注:夢の中です)、私は必死になってCさんを呼び寄せようとした。


「Cさん!危ないから!逃げないと」


ところがCさんは聞く耳を持たない、私にとって現実では大切な人だが、夢の中とはいえ、進んで被曝する馬鹿をするまいと、私は一目散に駆け出した。


地に埋まる銀色の円盤に気づいた頃には、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていたはずの人々が忽然と姿を消していて、それが尚、不気味さを増していた。


何とか被害を最小限にしようと駆け出したものの、駆けて行った方と反対側から出てきてしまい、つまり、その「現場」に戻ってきてしまう。


一生懸命逃げているのに、一生懸命戻ってきている。


しかも、足が思うように回らない上に、件の男性三人が追いかけて来る。


恐ろしくなった私は、あるところで方角を変えて、気がつくと病院のような建物の廊下を走っていた。
私の姿は追っ手から見えているはずなのに、何しろ足が回らない、いっこうに追い付かない。
どうせ捕まえられると高を括っているのか、その余裕を匂わせている感じがまた恐ろしかった。


どこかに隠れないとと、ある部屋の戸を開けて逃げ込んだが、身を隠すところを見つける前に、部屋の壁面に天井まである作り付けの引き出しの山の、上の方の引き出しが、いくつもいくつも引き出されて、書類が少し散らばっているのに驚いていた。


昔夢で見た病院に似ているが、あそこはこんな作りの部屋は無かったはず…と思いながら、室内を見渡している時に…夢から覚めた。


***


起きた時に胸を撫で下ろす夢も、なかなか辛いものがある。
時間に余裕がある時はしばしば考え込んでしまうが、考えてもやむ無し、だって夢ですもの。



夢佳

シリーズ変な夢「謎のおじさん」

何となく記憶や印象に残った夢は、ブログ記事にしてしまおうという新しい試みです(私にとって)。


赤の他人が見た、それも「夢」の話になんて全く需要が無さそうだけど、何度も「ああだった、こうだった」とか「怖かった」とか思い出したり覚えていたりするのもなかなかエネルギーを使うので、たぶん「忘れてもいいように」書く、つもりになったのでしょう。

自分でもよく分からない。


前置きはこの辺りにして、適当に思い出したところだけ書きなぐろうかと。


ちなみに夢占いの類いは面倒くさくてやりません。
何かを象徴しているらしいということを否定するつもりは一切なく、ある意味「出来上がった」ものを分析する趣味がないだけです。


それでは、物好きな御方、どうぞご笑覧下さいませ。
小説は書けませぬが、夢の話でしたらいくらでも…



***


食べ物売りの屋台のおじさんに用事があって会いに行った。
そこでの買い物の仕方についての但し書きが貼ってあったが、起きたら忘れてしまった。

おじさんの店の前に、学校給食のような空の牛乳パックが入った黄色いプラスチックの箱が山積みになっている。
私はその中の一つの牛乳を飲んだが、味は普通だった、現実では苦手でとてもそのまま飲んだりはしないが、ストローに口をつけて、その行為に驚いていた。よほど喉が渇いていたらしい。


屋台のおじさんと少し話をしてから、気がつくとどこかの建物から出てきていた。珊瑚色のカーペットが貼られていて、何故かキテレツな格好をされた羽生善治さんがマイクを持って歩きながら演説をされていた。

大きな将棋の大会があるらしい、秘書のような若い女性が慌てて羽生さんを追いかけておられたが、それらの出来事が本来の予定ではないことだったらしく、囁くようなヤジが飛んでいた。


気がつくと、大きな大きな将棋盤の前に座っていた。
私の右隣に、ベテラン棋士が座っていて、これは現実に居る人かは分からない、けっこう歳の離れたおじさんで、私を口説いている。

すんでのところで助けが入って事なきを得たが、夢の中とはいえヒヤヒヤした。

どこかで見たことのあるおじさんだったが、果たして、誰かに面影が似ているだけなのか、それはもう夢の記憶がおぼろげで分からない。


それから、どこかへと帰らねばならず、身支度を調えていたところ…水道の側に○○○を見つけて…その○○○が何だったのかを、今はもう思い出せない。
何か大切なものだった気もするし、珍しくスーツ姿の私はそこで誰か若い人と、それも知人のはずのその誰かに会っているはすなのだけれど…


***



こういう夢の後は、ちょっと失礼、じゃなくて、ちょっと失恋したみたいな気分で目覚めるから辛い。目覚めた時から感傷的。

日常に戻ってくるまでの気持ちの差が、どうにも、すぐには取り戻せない感じ。




夢佳

こんな大人になりたかったのか?

すっかりサボり気味のブログを、気にするくらいなら書いてしまおうと久しぶりにログインした。

ポツポツと見に来て下さっている方がいるらしいことに、驚きとともに嬉しさが込み上げる。
こんな訳のわからない、どこの馬の骨ともわからないブログを読んで下さってありがとうございます。

読んだところで大半の記事がきっと何の足しにもなりますまい、けれど、こんな人が一人くらい居てもいいでしょうよと思って今日も生きております。



先日のことだったが、やけに印象に残ったことなのでネタにしてみよう。

かくかく然々でお年を召した女性に着席を促したことがあった。どうぞこちらにお掛けくださいと。
こんなのは善行でもなんでもない、私は病人ではないので当然のことだ。


それで、まあ喜んでもらえたみたいなのでよかったが、よかったのはそこまでだった。


何やら最近の若い者はろくに席も譲らない、どうかするとスマートフォンに夢中になったままだったり、寝たふりまでする始末で全くけしからんという話を聞かされた(あえてこう書く)。
年寄り(あえてこう書く)の本音を見たと思った。


ついでに、あの、一応ワタクシメも若い者カテゴリに入るのですが、という困惑を感じる自由はあると思う。

あのおばあちゃんは座席運が無いのであろう。
だがしかし、譲ったところで断ったり、どうかするとそんな年寄りじゃないと怒り出す人もいるらしい。


私は座席譲り運があるため、そのようながっかりを覚えたことはないが、えっと、何が言いたいかというと、
「お互い様でしょうよ」
ということでした。


こちとら若い者カテゴリ側にも言い分はあるんだよ、体調が悪くてとても立ってはいられない時だってある、そんなことも分からないのか?
と、何かを思い出したのか突如として憤慨しだしたお婆さんを前に、やや気が遠くなった。


袖ふれあうも多生の縁と言いますので、やんわりと話題を変えてその場をやり過ごしたが、あのおばあちゃんに喧嘩を売っても仕方ないし、とにかく、世の中に出て赤の他人と何とか上手くやるには、互いに思いやることが必要でしょうよ。
文句だけつけてその後良くなったことって、何かあったのかしら?


あのおばあちゃんは座席運を良くして、私は引き続き座席譲り運を良いままに保っていきたい。


三十路が説教をかますのもどうかと思うが、成人してからしばらく経つからいいでしょう、それもこれも、粋な大人がおらんのがいかんのやわ、と、方言丸出しで思ったのだった。



一体何を見ているのか考えたくもないし知りたくもないが、外でスマートフォンに夢中になっている若者の姿は果して粋だろうか。
せっかくの厚意を無下にして、勇気を出して席を譲った若者に年寄りじゃないと怒り出す年配の姿は果たして粋だろうか。



あなたも私も、そんな大人になりたかったのか?



違うよね、違うと信じたい。



そんな姿はスマートじゃない。
スマートフォンを構っているその姿がスマートじゃないって、何の冗談だか。



気を付けよう、気を付けよう。
私はそんな大人になりたかったんじゃない。


夢佳

ねこの呼吸

飼い猫がかわいい。
正確には、飼い猫もかわいい。


うちのかわいいねこちゃんは、人の膝の上に居座るのが得意だ。
こちらに向けている背中までかわいいのだから、全く困ったものだ。

よほど急ぎの用事ではない限り、例えばこれから出掛けるとかその他、ねこの寛ぎを優先させてしまう。


たまに頭やら喉やらを撫でると、いかにも気持ちよさそうで、目もキラキラしていて、その目を見つめている時に指先や近付けた顔に感じるねこの鼻息が、なんともなんとも愛らしい。


人よりもはるかに小さなねこの確かな命を感じる。


ずっとこの鼻息の加減を覚えていたい。それはつまり、ずっと、長生きしてほしい。


子どもの頃に飼っていたねこは、今のように完全室内飼いではなく、外と中を自由に行き来させていたこともあり、老体になってそれからを知らない。
出掛けたと思ってそのまま、ついぞ家には帰ってこなかった。
きっと今はもう天国にいるのだと思う。



それで、ねこが年老いてからその後を知らない。
これからいずれ知ることになるが、今はまだ想像もつかないほど、元気いっぱいでいてくれる。
嬉しい。



今日も私の膝の上ですやすやと寝息を立てるあのねこ。
切なくて、つい背中を撫でた。



夢佳

歯医者さんに通っている話

定期的に歯医者さんに通っている。

歯の治療はとりあえず済んだので、もっぱら検診のために通っている。



子どもの頃は決まった所に親に連れて行ってもらえていたので特に悩むこともなくてよかったが、大人になって、それも何度も引っ越したりしていると、歯医者さんを決めるのになかなか勇気が要るようになった。


今お世話になっているところは、大人になってから一番長く通っている。新しさとホームページに書いてあったあれこれを決め手にして勇気を出してお邪魔してよかった。
何度も顔を出すためか、ちょっとした世間話ができるくらい覚えてもらえて、何だか嬉しい。


自分では足りない部分をきちんとケアしてもらえて、気遣って下さるのが有難い。


いつだったか、歯科衛生士さんが、それは丁寧に歯を磨いて下さって泣きそうになったことがあった。
「こんな風に磨いて下さいね」
とのことだったが、勉強になる、以上に、何だか愛情まで感じてしまって、胸を打たれたのだと思う。

そして、果たして自分はここまで自分のことを大事にしてきただろうか、と我が身を振り返るのと同時に、仕事とはいえここまで力を尽くして下さることにすっかり恐縮してしまった。


素敵な歯医者さんとご縁があって本当によかった。
先生ももちろんやさしいです。


前に親知らずを抜いてもらって、一通りの治療が済んでからは、検診のためにお世話になっている。
いつも丁寧に綺麗にしてもらえて、歯医者さんへの往路も復路も足取りが軽い。
いつの間にか楽しみになっている。


何度伺っても思うが、自分ではどうにもできない所を何とかしてもらえるのが、プロフェッショナルに味方して頂けているようで、こんなに心強くて有難いことはないのではないだろうか。



また今度診て頂くまで、きちんと歯を磨いて、きちんとフロスを通そうと、もはや自分のためと言うよりは歯医者さんで褒められんがためにせっせと手入れをしている。


でも、動機はなんでもいいか。
自分を大切にする習慣を作るきっかけを教えて下さって、本当に有難いです。


皆さまもどうか歯を大事になさって下さい。



夢佳

5月はシャツの季節、ハンカチは毎日

久しぶりにシャツのアイロン掛けをした。


冬場はほとんどニットばかりを着ていたため、アイロンの出番はほぼハンカチのみになっていたが、そろそろシャツの気分!
ということで、最近はニットの着用回数を減らし、少しずつシャツにお出まししてもらっている。


ニットの時のお手入れといえば、下着のおかげで直接肌に触れないこともあり、洗濯の回数は極力減らして、普段は着用後に水を入れた霧吹きでシワのつきやすい肘や裾の辺りを重点的に湿らせて乾かしていた。

ところが、シャツさんはですね。
皆さんご存知の通り、同じように霧吹きで湿らせたところで、シワのついたところはやはりシワになったままなのでした。


一応試してはみたが、シャツさんはそんなに甘くない。
諦めて洗濯をし、アイロンを掛けることにした。


ハンカチもそうだが、シャツへのアイロン掛けも、洗濯が済んで生地が湿った状態のまま始めている。
一度乾かしてから霧吹きまたはアイロンのスチーム機能を使ってもいいのだが、そこは生来の面倒くさがりが発動して、わざわざ湿らせる手間を省くようになった。


何となくだが、シャツもハンカチも、ピシッとした状態で干されているのを見ると、何だかすごく大事にされているように見えてホッとするのだった。
後が楽だしね。乾いて仕舞うだけの手間で済むもの。


ところで、以前、ジェットタオルの普及により(?)ハンカチを持たない人が増えているというネットのニュース記事を見たが、ハンカチが好きな昭和生まれとしては、時代というのはいつの間にか変わっていくものなんだなと少し寂しくなってしまった。


私のハンカチ歴は、まあ歴史という程のものではないけれど、大人になってから記憶にあるだけでそれなりの数になると思う。


昔仕事でお世話になった憧れの先輩が、ハンカチは一つ○○(任意)のものとブランドを決めておくといいよと教えて下さって、しばらくはそれを通していた。

確かに雰囲気も統一されやすく、集める楽しみもあり、何より毎日目にも手にも触れるものなので、そこに多少の思い入れを持って選んでいるというのが、何だか大人になったような、少しその先輩に近付けたような気がして、嬉しくもあった。


それが、年月を経て好みも変わり、今ではすっかり麻のハンカチを主として使うようになった。
それも無地でレースも刺繍も入れない、ずいぶんと素っ気ない物。

けれど、初めて麻のハンカチを使った時の、あのひんやりとして張りのある肌触りにすっかり魅了されてしまい、人から頂いたもの以外は、つまり自分で買うものは、華やかなものは手に取らずに必ず麻のものを選ぶようになった。


朝起きて香水を決めて、その香水瓶の蓋を拭うのに、その日使うハンカチを用いる。
すると、鞄から取り出す度に仄かに美しい香りが広がり、それだけで心が落ち着くような気がする。


こんなのは完全に趣味だし、こういうことをこそ趣味と言うのではなかろうかと思う。



久々のシャツへのアイロン掛けは、以前よりも少し時間が取られたが、身綺麗にする元気があるのはいいことだ、これも自分への励みになる。

身だしなみを整えるのは世間に出ていく時の責任でもあるし、5月の爽やかさにもぴたりと当てはまるのではないでしょうか。



そろそろ藤の花が見頃でいいですね。



夢佳

電車で知らない人に思わず話し掛けてしまった話

久々にやってしまった。
先日の話である。

帰路の電車に、それもちょうど満員電車に乗り込んだ時のこと。


スマートフォンを鞄から取り出すこともできず、乗り合わせた人の会話を聞くとはなしに聞いていたら、「○○…!」と、私が行きたかった旅先の話が飛び出した。


何となくボカしたけれど、海外の地名である。


それで、駅をいくつか過ぎ、少しずつ人が減って車内にゆとりができたタイミングで、スミマセン、と思い切って話し掛けてみた。


案の定驚かれたが、何せ私もそんなことは滅多にやらない、驚かれながらも話の輪に入れて下さって、下車する駅までの時間があっという間に過ぎるくらい楽しかった。


昨年にその国にまつわる展覧会に出向いてからすっかり行く気になっていたこともあり、よくご存知のようだし、どうしても聞き逃すわけにはいかないと、勇気を出してみた。


たまたま入った喫茶店でその国が特集されている雑誌を見付けて読んだりとか、とにかく何かしらどこかしらで縁を感じてしまっていて、今回のこれも神さまからのお告げかお導きかと、強引に思い込んだのだった。



あれこれ聞かせて下さるだけではなく、おまけに件の渡航先の様子が分かる映像もわざわざ見せて下さって、それもとても嬉しかった。


世の中捨てたもんじゃないね。
生き生きとされている顔付きまで、すっかり目に焼き付いてしまった。


お付き合い下さった素敵なご両人が当ブログをご覧になることは無いかと思いますが、その節はありがとうございました。


互いに名乗らずの一期一会というのがまた格好いいなと、幾重にも嬉しさの募る一時でした。


いつか行って来ます!
改めて、ご親切に、ありがとうございました。
お二方もどうかご無事で、これからもよい旅をなさいますように。



夢佳