思いのままの色

変な夢と、淑女のたしなみについて

フルート再開

この間、たまたま時間ができて、久しぶりに楽器に触ることができた。

私のフルート、記憶が正しければ、ほとんど一年振りに吹いた。


昨年はおよそ五年のブランクを経てフルートを吹いたが、案の定、音なんて出ない。
持ち方も運指も覚えているのに、口の感覚が全く訳が分からなくなっていて、せっかく自分の楽器があるのだもの、無理矢理にでも続けていればよかったとひどく後悔した。


違う夢を追っていてフルートの練習どころではなく、フルートを置物にしておくのも可哀想で、ちょうど楽器を借りたいという人に縁があり貸していたのだったが、何とか時間を捻出して、どのような形であれやり続けていればよかった。


以前も大して腕が立った訳ではないが、確実に下手になったよ!


でも仕方ない、これからまた地道に練習するのだ。


それで、消失していた口の感覚を、随分と昔に習った時のことを何とか再現しようとして奮闘していたのだが(昨年)、てんで上手くいかなかった。その絶望と後悔に負けてしばらくまた楽器を触らずにいたが、楽器はあるし、たまたま時間もできた。


時間ができて、目の前に楽器がある。
そのおかげで、ちょっとだけ、吹いてみようと思えた。


楽器をケースから出す時って、もう何度目なのか、未だにどうしてもドキドキする。
無事かな、元気かな、と確認するような心地。


ピカピカのままだった、フルート。
ごめん、お待たせ。


今回はまた以前のようにやろうとするのは止めた。
ブランクの埋め方を調べて、くちびるの形は人それぞれ、私が音を出しやすいやり方を見つければいいと、一つの答にたどり着く。

あの人やあの人のような口許になりたいと、一生懸命力を込めていたくちびるを脱力させて、やさしく歌口(息を吹き込むところ)に吹き込んだ。


すると、余分な息の漏れがかなり減って、昨年よりもマシに感じられる。
吹いた時のあの音に手応えのある感覚も少しある。
これはこのやり方を続けて掴んでみるといいかも知れない。


というわけで、すっかり気を良くして、使える時間いっぱいまでフルートの練習をした。そのほとんどをロングトーンに費やす。


またどこかで吹ける日が来る時まで、気長に、フルートを続けることにする。

自己紹介なぞ、してみましょうか

ようこそ、いらっしゃいました。
ブログ用の名前を考えてみたのですが、まだ決めかねています。

寅年の30歳です。
20代の内についぞ上京はできませんでしたが、生きている間に一度は都内に住んでみたいです。

東京に住みたがっていた頃に、「何故?」とよく聞かれましたが、真面目に答えるのが面倒くさいので笑、「地方出身者が都会に憧れて何が悪い」ということにしておこうかと思います。



…実は、モデル志望でした。
ところが良縁叶わず!…

都内での仕事は2件取れただけで、あとは地方で企業の広告を少々。
つまるところ、本業はイベントコンパニオンのままで、あんまり書くと誰かお会いしたことのある方に特定されてもアレなので笑、まあとにかく一度夢破れてる人です。
山河ありです。



腐ったままでいても仕方ないので、とりあえずブログを立ち上げてみました。
顔を出すつもりは今のところありません。


お家にいる時は概ねピアノを弾いています。子どもの頃にだけ習っていました。
ショパンが好きで、今はショパンしか弾きません。素人なので、完全に自分の為だけに続けています。
楽しい!
いつかフジコ・ヘミングさんのコンサートに一度は行きたいです。



静寂と一人きりの時間をこよなく愛しています。
騒々しいところと人混みと行列に並ぶのは嫌いです。
(イベコンは最高に不向きだった!笑)



静かなところといえば、美術館に行くのが好きで、気になる展覧会にはできるだけ、それも一人で足を運ぶようにしています。
好きな画家はマリー・ローランサン


好きな色は、
ニットなら淡い灰色、
ワンピースなら明るさのある紺色、
鞄や靴なら艶のある黒、
ハンカチなら鮮やかな水色か華やかな濃いピンク、
食器なら白と青、
花と猫なら何色でも。



香水はGUERLAINのサムサラを愛用しています。
私が棺桶に入る時には(万が一纏っていなければ)どうか振り掛けて下さい。



ざっとこんなところでしょうか。
もしも何かご質問がおありでしたら、お気軽にどうぞ。答えられる範囲でお返事いたします。


それでは、どうぞ当ブログをお楽しみ下さい。

あなた様にとっても今日が佳い一日でありますように。

同時に多発する自分

読まれるかどうかも不確かな不特定多数に向けて書くのはどうかと思うが、私にも地面に掘った穴が必要なのだと思う。

気持ちの弱った人は、できたらこの先を読まずにいてほしい。



YouTubeなんかで少し気になっている歌を聴いて、縁あってその曲の全貌を知ることになったのだけれど。

始まりの和音を聴いただけで、あ、これは一人で聴かないとマズイなと思って、瞬間的に他のことに気を向けた。
何人かでの旅の途中の車中で、急に泣き出す訳にもいくまい。



いい曲だよね、って、聴かせてくれた友人にとっさに話し掛けた。
黙っているとしっかり聴いてしまいそうだったから。



お家に帰って、しばらく経って、なかなか聴く勇気が出ない。


一度、もらったCDアルバムをサラッと一周聴いてはみたが、その曲にどうしても気が行く。


あーあ。見つけちゃった。


知ってたつもりだったけれど、たまたま見つけた、たった少しの動画で心を動かされていたのだもの。
全て聴くのが、ちょっと怖かった。


でも、聴くしかない。




突然話が変わるが、私はこれまでの年齢の私自身が同時に存在すると考えていて。
今この時に、例えば小さな時の私が、共に存在すると。

あの時もその時も立ち尽くすしかなかった、小さかった時の自分。
何かを感じているのに言葉にもできない、上手く、適切に、自分の心に沿った言葉で言い表すことのできないもどかしさ。


大人になるというのはいいことだ。
そのような不自由さからは多分に解放される。
たくさんの言葉を持つ、知っていくというのは素晴らしいことだ。


それでも、どうしても掬いきれない、認識できる範囲をすり抜けて心の底に落ちて行ったその時々の感情の数々を、たった一つの歌が、始まりの和音が、どうしようもなく心に響いて、否応なしに突きつける。


日常で一々受け止めていたらやり過ごせないこと。

あの時に解決したと思っていたはずの、実は遣りきれなかった気持ち。

「今」直面するのはまずいと、咄嗟に追いやった感情。



どこかへと仕舞いこんだ思いの丈が、言葉にはならず、代わりに視界が滲むその時に、思い知るのだ。

そっか、しんどかったね、自分で気付くことも出来ずに、と。



たった一人で抱えて、泣くことも堪えて、何からそんなに守ろうとしていたの、と。


そうして声を上げて泣く時に、上手く理由が見出だせないながらも、止まらない嗚咽にひどく納得している自分に気付く。
そして、同時に存在する幼い私を思って、今よりかは若かった時の私を思って、今は泣いてるだけだから大丈夫だよって、一瞬思う。もう大人だからね、泣くのはここでだけ、何とかしてきたし、これからも何とかしていけるから大丈夫って。


そして、これが誰かの前ですることでなくてよかったと思う。


慰められるなんてまっぴらだ。

一々余計なことを言わない人の方が、私は好き。



再び話は逸れるが、小学生の頃にしていたソフトボールの監督に言われた、泣いている人に声を掛けるのだけが優しさではないぞって話と、その情景を思い出す。
悔しくて泣いている当時の友人に、居たたまれなくてつい側に行ってしまったが話してはくれず、その彼女を思う優しい気持ちは良いし分かるけれど、と。
当時はその言葉の意味を分かっても、すぐに腑には落ちず、彼女にひどく悪いことをしてしまったと、思いやりの足りなかった自分を恥ずかしく思ったものだった。



生きてれば、色々あるけれど、基本的にはここまで生きてこられたことを、祝福していたい。
誰もが等しく、その人の時間を生きている。
それを思うと、命のある私は幸せだし、幸せでいられる。


どれだけ泣いても、生きてれば大丈夫。
これまでの私を救って、ここからの私も何とかする。



以前、歌を何で聴くかと訊かれたことがあった。音に感動するのか、歌詞に感動するのか、何があなたの心を揺さぶるの、と。

私は音が先だ。歌詞の意味を認識するよりも早く、音が、胸に広がる。
もちろん歌詞にも胸を打たれるが、何かを聴いた時の、あ、見つけちゃった、というのは、それぞれの「この音」からばかり始まる。

サイレンが用を成すのも、危機の迫ることを端的に表しているからだろう。

だからきっと誰もが、音から、自分の内に取り込むのではないだろうか。



自身で気付き得なかった、今の心の形に寄り添う音楽。
様々な思いがふっと一時に押し寄せて、突風が雨を連れて、景色の何もかもを洗い去っていく。


それに成す術もなく、傘も差さずにやっぱり立ち尽くして、でも同時に存在する私が-----これまで生きてきたのだもの-----支えてくれている気がする。


だから、うっかりたくさん泣いても大丈夫。
そのうちに雲の切れ間から光が差して、また日常に戻ればいい。

閉店のさみしさ

好きだったお店が無くなってしまった。

その場所であとからまた違う方がまたカフェを始められるそうだけど、そのお店にやっと来られた!と思ってウキウキしていたら、外にあった張り紙で知って、急に後悔した。

せめてもっと前にコーヒー飲みに行ってればなって。
コーヒーもその空間も雰囲気も時間の流れも好きだったから。



前にもあったな、好きだったお店の閉店。
正確には遠くに移転しただけだったけれど、遠くて、結局通わなくなった。


もう一軒お気に入りのお店もまるっきり無くなった。


仕方ないんだけど、悲しいものは悲しい。


またお気に入りのお店が見つかればいいけれど、何度も通うお店って限られる。

知人のお店か、何かが美味しいか、居心地がよいか。


お店の居心地のよさって、音楽もインテリアももちろん大事だけど、店主を好きになれるかどうかと、どんなお客さんに会うかというのが大きい。

お店で用意して下さる料理やサービスが素敵なのは大前提としても、やっぱり人ありきだなと思う。

この人にまた会いたいって思うところには通うもの。

偶然にしてもあまり騒々しいお客さんばかりだと、よほど何かが美味しくなければ、二度と足を運ばないことの方が多い。


そうやって考えると、飲食店を続けていけるのってすごいことだよね…


また気に入ったお店を見つけられたら、大事に通おう。

楽器とダイエット

もう少しで一区切りつくと思うとドキドキする
ピアノのお話です。

目下練習中の曲の終わりが見えてきた。長かった。

少し寂しい。

弾ききってから言いなさい、とも思うけれど、正直なところは、寂しさも感じてる。


勇気と技術が伴えば、どこかで発表できたらいいな。

まず身近な人に聴いてもらって、外でも弾いて、ネットの海に解き放ってみるとか。

それで、ブログに載せるの。


難しいことではないよね、たぶん。
誰もがやってることだし。
(いつか何とかして、わたし!笑)



ところで、世の中は何かしらの楽器を演奏する人と全くしない人とに大別されると思うのですが、もし減量法に悩んでいる方がいたら、楽器を演奏することをオススメしたいです。
というのも、(遺伝か体質その他生活習慣は加味されているとしても)、ずっと細いのですよね、私が。


それなりに効果を見込めそうな根拠としては、単純に楽譜を読むだけで頭を使うし、ピアノって指だけではなくて何だかんだで全身を使って弾くことになるしで(説明が雑ね)、体感としてけっこう熱くなること。
芯からわーっと熱が沸き上がる。


それで、今の時期なんか厚着したまま弾き始めても、汗をかいてしまうから、どんどん脱ぐし、袖もまくる。


滅多に吹かないフルートも(ごめん)、当然たくさん体を使う。
人と合わせる時なんかは特に音程やその他、合わせるために意識してやることがたくさんある。


私はピアノとフルートしか知らないけれど、バイオリンなどの弦楽器も似たようなものではないだろうか。
打楽器なんて言わずもがな。



学生時代からこれまでのことを思い返してみても、音楽つながりで知り合う人で「やせたい!」とダイエットしたがっている人にほとんど出会ったことがないです。


大学などで専門的に音楽を学んできたわけではないので、もしかしたら目立つ体型の人も一般的だったりするのかも知れませんが、病気でもない限り、太ったままでいることはまず無理なんじゃないかな。


昨年は久しぶりにフルートで出番があったのですが、たった数曲吹いただけでも物凄くお腹が空きました。
用意して頂いた大きめのお弁当もペロリと平らげられるくらい!


だから、急に話が変わった割にはけっこうマジメにオススメしたくなるくらい、楽器演奏はダイエットに向くと思うのでした。


こういう時って写真でも上げればいいのかな?

でも、ご自身の周りに一人はいませんか?何かの楽器を趣味でも本業でもとにかく演奏する人。
きっと痩せてる印象の人が多いのではないかしら。


仮に始めはダイエット目的でも、楽器と音楽に触れる楽しさを覚えてしまえば、無理な食事制限とか必要無くなると思う。



ピアノは再開してからずっと続けて弾いてるけれど、少しでも集中してやれるのは、何だかとても楽しい。
自分を使いこなしている感じがする。
覚えていくと特に。

楽譜に書いてあることをなぞって思い描いたように弾けると、体が熱くなる。でも足りない。このままもっと弾いていたくなる。
ブランクもあったけれど、ピアノが人生にあってよかったと思う。



冒頭の話に無理矢理つなげると、今取り組んでいる曲は子どもの時に難しくて一度諦めた曲だったので、終わりが見えると余計に胸がいっぱいになる。


仕上げてしまいたい、でも仕上げた先も見たい。
もっと弾き込んで、自分の曲にするまでは。


つまり、一生ものなわけです。


それこそ自分の体も一生ものなので、音楽をやるというのは一石で何鳥かは分からないくらい、無数によさがある。とも思うのでした。


繰り返しになるけれど、あらゆるメリットを無視しても、自分がしたいことを直接やれるのは、生きててよかったと自分を肯定する元になる。

すっかり自信を無くしていた私には持ってこいなのでした。



明日もまた弾こう。
ちゃんと続けられるのが、私はとてもとても嬉しい。

たまに届く嬉しいDMの話

今夜は日記?に少し早めに取り掛かれてよかった。
とりあえず三日坊主ではなくなったよ!
はっはっはっ!


さて、何の役に立つのか全く分からない話ですが、郵便受けに不意に届くDMについてのお話。


大多数はあっという間に資源ごみ入れにさようならするのですが、ただ一つ、扉を開けて見つけると嬉しくなるのがゲランからのDMです。

新製品のお知らせを、すっかり浮かれながら読む。



(個人的に)ワーカホリックだった頃は、それこそ気に入ればお財布と相談(という名の少々の無意味な逡巡)をして、エイヤッと自分の物にしておりました。

というのも、「自己投資」という大義名分を我が身に与えていたがための散財をすることによって、「こんなに美しい物を使っているのだから美しくなれるはず」と当時の自分をせっせと励ましていたのでした。

風前の灯がごとくの自信しか持ち得ていなかったために、「ゲラン」の「美しい」化粧品の力に頼りきっていたのであります。


そのシャドウの色、いいね、とか、お化粧した姿を褒めてもらえたり、他人に自分の使っている化粧品を見られた時に、「この化粧品の為に働いているの」と豪語していたことが懐かしく思い出されます。



私の中での化粧品史はゲラン(に出会う)前とゲラン後があるのですが、ゲラン前は化粧品そのものへの興味はあるものの、薬局で手に入れられるものを愛用していました。
百貨店の化粧品カウンターなんて縁もゆかりもないキラビヤカな世界だと思い込んでいたため、そもそもの眼中に無いことになっていたのです。


ところが、環境というのは真に恐ろしいもので…せっかく口紅を新調するのであれば、たまには勇気を出して百貨店にお邪魔してみようと思い立ち、化粧品フロアをうろうろした挙げ句、気が付くとゲラン信者になっていた次第です。
(つまり誰もが知っているデパートコスメを使っている人が周りに溢れていたのですね)



なんて美しい化粧品なんだ、と感動したことと、明らかにその場に不馴れな小娘風情にとても丁寧に接して下さって嬉しかったことが今でも忘れられません。


あれからずいぶんと時が経ってしまいましたが、細々ながらもゲランの製品に縁があると思うと嬉しくて仕方ないのでした。


今よりもうんと若い時分に、背伸びをしてお買い物に行ってとてもよかったです。

(ちなみにですが、例えばシャネルとかは何だか気後れしそうなのもあって未だに入れません)
(ゲランのゲの字も知らない人間だったことが効を奏したのでせう)

(もっと言うと、ゲラン信者なので他所様に出向く気が全く無い)
(でもまあ気後れしてるのは事実)

(単なる例えで引っ張り回して恐縮ですが、シャネルのお姉さん方も素敵な時間を過ごさせてくれるはずだとは思っております)



DMが届く度に刺激される物欲と戦うのは難儀ですが笑、うーん、今回はどうしよう笑。


(ところで、新しいDMの「ぺルル ブラン」の紹介のメイクが大変素敵ですね。
一見すると目元にパッと目立つような色が使われていないのに、とても華やかで。桜が咲いてるみたいな。
口紅の色がわりとはっきりしているけれど、この色味なら使うのが楽しみになりそう)

(今の口紅、まだ使いかけなんだけどな)

(あ、でもやっぱり限定色って書いてある!)

(私ホイホイか)

(売り切れる前に今ある口紅を一生懸命使ってしまおう!笑)



なんちゃってミニマリスト気取りなので、お買い物一つにも理由が要るのでした。


他にも欲しい物はあるんだけどな。
必需かどうかで言えば、口紅よりもアイブロウの方が先なのに、どうしよう。


もうしばらく考えよう。


今夜はこの辺りで。
ごきげんよう、さようなら。

定まらない道について

何だかこれも本当にたまたまなのですが、
「本当はやれるのに やらないままで後悔するのが怖い」
って、あるタレントの方が言われていて、
またこういう言葉が胸に響くタイミングなんだな、どうすんの、と少し考えてしまった。

とりあえず日記(というか一応の記事)を書く。



ブログを続けている間で、いずれどこかで自分の半生を語りだすかも知れませんが、とりあえずはぼんやりとだけ書いておこうかな。


一応は夢が叶って、一応は夢が破れた状態なのが、今の私です。


その夢というのを貫き通す意志が、色々と経験するうちにどこかへ消えてしまったように思えて、すっかり塞ぎこんでしまい、まだ立ち直る途中にいます。


自分がどうしたいのかが上手く掴めないのは辛い。


何かで失敗するのとか、自分の足りないところに気付くのとかは、多少悔しくても何とかできるけれど、
「それであなたはどうしたいの?」
って自分に聞いて、答えが出てこないのが、夢を追い続けていた時間との落差の分、堪える。


それで、とりあえず自信を無くしたままでいるのは止めようと思い、ピアノを再開した。
子どもの頃習って、ずっと続けていて、大人になってからできたブランクが気掛かりだったのを、それこそ「自分の手で」解消してるところ。



昔は弾いていたのですが(ゴニョゴニョ)と、謎の申し訳なさを感じていたのにもおさらば。


ほとんど毎日続けていて、たとえそれがほんの少しの時間であっても、何だか私には嬉しい。
夢のためにどこかへ追いやっていた自分を取り戻せた感じ。



事情はどうあれ、心情としては怖くてその夢に身投げできなかったのが事実でもあるので、余計に引きずっているのかも知れない。



何だか上手くまとまらないけれど、とりあえずはここまで。



ごきげんよう、さようなら。